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高松高等裁判所 昭和27年(う)292号 判決 1953年2月25日

控訴人 被告人 谷岡貞利 弁護人 山田節三

検察官副検事 竹内太蔵

検察官 大北正顕

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金壱万六千円に処する。

右罰金を完納することができないときは弍百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人山田節三及び被告人並びに検事中田慎一の各控訴趣意は夫々別紙に記載の通りである。

一、弁護人及び被告人の控訴趣意中

(1)義歯又は金冠製作の為にする印象採得(義歯又は金冠製作の為直接患者の口中より型を採る行為)及び試適(義歯又は金冠の製作に際し直接患者の口中に当てゝ適否を試みる行為)は、歯科医師の免許を受けていない歯科技工師であつても、義歯又は金冠製作の必要上業務上当然為し得る行為であるとの点について

人の口腔、歯牙の状態に応じて如何なる時期(例えばそれら疾患、異状がある場合には治癒又は適当なる処置を執つた後)、如何なる形体、状態(例えばどの歯につき義歯、金冠を入れるべきかどうか、どの歯に如何なる削磨、変形を施すべきかどうか)の下において、印象採得し試適するかは、右印象採得、試適を経て製作せられた義歯、金冠の嵌入(完成せる義歯又は金冠を必要あらば修正しながら人体に装着する行為)と同様、その人の歯牙、口腔、時には全身体の健全に影響を及ぼすことは明らかであるから、これらの歯科医術を前提とする印象採得、試適は嵌入と同様に歯科医術の範囲に属するものと言わなければならない(大審院大正五年九月三十日判決、高松高等裁判所昭和二七年五月二日判決参照)。一方では歯科技工師に右のような印象採得、試適行為を業とすることを認めなければその歯科技工師たるの業務を遂行できないものとは認められないのである。よつてこれらの印象採得、試適行為を業とするには、厚生大臣からの歯科医師の免許を要するものと言わなければならない。論旨は理由がない。

(2)原判示市川良喜及び岡本政猪に対する被告人の歯科医行為は、被告人が歯科医師小早川道作に雇われて、同人の監督の下に同人の指示に従つて為したものであるから罪とならないとの点について

本件記録を精査し総ての証拠を検討するに、原判決挙示の証拠により原判示市川良喜、岡本政猪に対する被告人の歯科医行為は、その他の原判示被告人の歯科医行為と同様、被告人が歯科医師小早川道作の手足としてではなく、独立の主体として自己の歯科医業の一環として敢行したものと認められるのであつて、たとえ被告人において小早川歯科医師の指示に従つて為されたものであるから罪とならないと考えていたとしても、その違法性を阻却するものではない。

一、被告人の控訴趣意中、原判示のような坂本愛吉に対する被告人の嵌入行為はないとの点、及び検察官の控訴趣意中、原判決が大西重義、山本静枝、山中静枝に対する被告人の嵌入行為を証拠不十分であるからとて認めなかつたのは、事実誤認であり、これら嵌入行為の点につき無罪を言渡したのは法令の適用を誤つているとの点について

(1)本件起訴にかかる歯科医師法違反罪は、被告人が無免許で業として歯科医行為を営んだと言うのであつて、その行為の内容である抜歯、歯牙の削磨、印象採得、試適、嵌入は包括せられて右の一罪を構成するものであるから、原判示のようにその一部の嵌入行為が認められないにしても、この部分につき主文において無罪の言渡をした原判決は法令の適用を誤つているのである。

(2)前示のように義歯、金冠の嵌入行為とは、前示のように完成せる義歯、金冠を必要あらば修正しながら、人体に装着する歯科医行為たる施術であつて、その場合必ずしもその施術者が自らの手でその義歯、金冠を被施術者の口中に出し入れすることを要せず、被施術者が自らこれを歯列に装填し、施術者はその状態を観察し、或は被施術者にその適応状況を審問する場合にも、施術者の嵌入行為が成立するものと言わなければならない。本件記録を精査し総べての証拠を検討すれば後に摘示する証拠により

被告人は歯科医師の免許を受けないで、昭和二十四年十月中旬頃から昭和二十六年二月中旬頃迄の間に、高知県高岡郡須崎町浜町の被告人居宅及び同郡上分村小早川道作方で次に示す通り、八名の者に対し入歯等をなし歯科医業をした

施術年月日

その場所

被施術者

施術の内容

被告人の

受けた料金

昭和二四年一〇月中旬頃

高知県高岡郡須崎

町浜町被告人方

大西重義

(当時五六才)

上下総有床義歯を入れるための

印象採得・試適・嵌入

二〇〇〇円

同年一〇月頃

山本静枝

(当時四四才)

上奥歯三本技歯上総有床義歯を

入れるための印象採得・試適・

嵌入

二〇〇〇円

同年一二月終頃

坂本愛吉

(当時五六才)

上下総有床義歯を入れるための

印象採得・試摘・嵌入

三〇〇〇円

昭和二五年二月頃

坂本美好

(当時一七才女)

左下奥歯一本の削磨右上前歯一

本に金冠を入れるための印象採

得・試摘・削磨・嵌入

一〇〇〇円

同年五月終頃

山本盛衛

(当時五〇才女)

上前歯三本の金冠を入れるため

の印象採得・試摘・嵌入

一〇〇〇円

同年五月終頃

高岡郡上分村

小早川道作方

市川良喜

(当時三七才)

右下中歯一本技歯上下計四本の

加工義歯を入れるための印象採

得・試摘・嵌入

一七〇〇円

同年八月初頃

岡本政猪

(当時五三才女)

上下総有床義歯を入れるための

印象採得・試摘・嵌入

三五〇〇円

昭和二六年二月中旬頃

前示被告人の居宅

山中静枝

(当時四〇才)

上総有床義歯下局部義歯を入れ

るための印象採得・試摘・嵌入

三五〇〇円

右公訴にかかる事実の全部を認めることができるのであつてその中一部の嵌入行為を認めなかつた原判決には事実の誤認がある。

以上の法令適用の誤りと事実誤認とは判決に影響を及ぼすこと明らかである。

よつて控訴趣意中その余の点についての判断をする迄もなく、刑事訴訟法第三百八十条第三百八十二条第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第四百条但し書きの規定により当裁判所は更に判決する。

罪となる事実は前示の通りであり、これを認めた証拠は原審公判調書中被告人の供述記載、原審第二回公判調書中証人大西重義、同山本静枝、同市川良喜、同岡本政猪、同山中静枝の供述記載、原審第三回公判調書中証人宮地清好の供述記載、司法警察員に対する山本静枝の第一回供述調書、副検事に対する被告人の各供述調書を加える外原判決の示すものと同一である。

(法令の適用)

歯科医師法第十七条、第二十九条第一項第一号、罰金等臨時措置法第二条第一項、罰金刑選択

刑法第十八条第一、四項

刑事訴訟法第百八十一条第一項

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人山田節三の控訴趣意

第一点原判決は事実の認定に誤りがある。

一、原判決は被告人は歯科医師の免許なくして、昭和二十四年十月中旬頃から同二十六年二月中旬頃までの間に八回に亘り、大西重義外七名の者に入歯等をなし、以て歯科医業をなしたものであると判示して、被告人に有罪を、大西重義、山本静枝、山中静枝に対する嵌入の点は無罪であるとの判決を言渡した。

而して被告人は本件起訴事実の内大西重義、坂本愛吉、山中静枝に対する嵌入の事実、山本静枝に対する抜歯及嵌入の事実を否認し市川良喜、岡本政猪に対する抜歯、印象採得、試適嵌入等行為は歯科医師小早川道作の代診として同人の監督指揮下に為したものであるから違法でないと弁疏しそれ以外の事実中坂本美好に対する削磨行為及嵌入、山本盛衛に対する嵌入が歯科医業であることを認めるがそれ以外の各被施術者に対する印象採得、試適行為は歯科技工師の正当なる業務行為であると主張してゐることは記録上明らかである。従つて被告人としては右小早川道作の命令による市川良喜外一名に対する代診施療行為及他の各被施術者に対する抜歯、嵌入及削磨行為は歯科医業であるが其他の印象採得、試適行為は歯科医業の範囲外の行為であるから違法な行為ではない。従つて罪とならない。即ち歯科技工師の正当なる業務に属する行為であると主張してゐるのである。

二、被告人は原審が此の被告人の為した印象採得及試適行為に対して有罪を認めたのが不当であるのであつて判決摘示の事実中抜歯、削磨、嵌入行為等が歯科医業の範囲に属するものであるから被告人が為した之等の所為を罰することを争ふものではない。抑々歯科技工師とは単に歯型を採取し義歯金冠を製作及試適販売する者であつて本件に謂ふ印象採得とは歯型を取ることであり試適とは歯型を取つて出来上つた製品である義歯、金冠が果して使用に適するや否やを実験することである。従つて歯科技工業といふ職業が認められ而かも其の業務が印象採得、試適及義歯、金冠の販売等歯科一般の口腔衛生、抜歯、嵌入、削磨、治療等を含まない純然たる歯科技工に関する限り此の歯科技工師である被告人の所為中印象採得、試適行為のみに関する点に付ては何等違法性はないと信ずるものである。何故ならば前述の如く歯科技工師である被告人は独立して義歯、金冠の製作業者として歯型採得及其の義歯及金冠が使用に適するかどうかの実験を為し得る正当なる業務を持つてゐるからである。即ち歯科医師の業務は歯科口腔一般治療の外抜歯、削磨、嵌入、手術、印象採得、試適等口腔全般に亘り、歯科技工師は只単に歯型の採得、金冠、義歯の製作試適及販売等のみに限られてゐる者である。此点は恰も眼科医が医療の一部である視力の検査や眼鏡の製作を眼鏡屋に担当せしめ又外科医が義手義足を作らずこれが採型製作等一切を業者に委せ獣医師が装蹄をせずして各業者をして為さしめてゐる点を考へる時歯科医業の内の義歯、金冠の製作業者である歯科技工師に只単に歯型の採得及試適を為さしむることは明らかに嵌入行為が伴わない以上之を歯科医師法違反として処罰することは不当であると思ふ。況んや既に今日歯科技工業として公許されてゐる事を考へる時更に其感を深くするものである。

三、更に原審は被告人が歯科医師小早川道作方に於て施療した市川良喜、岡本政猪に対する抜歯、印象採得及試適、嵌入行為に対しても有罪を言渡してゐる。併し被告人の右の行為は小早川道作に雇われてゐた事、同人の監督、命令下而も同人の責任に於てなされたものであつて此点に付ては被告人の供述は勿論右小早川道作の検察庁に於ける供述「私は当時手の指を傷けてピンセットも持てませんので谷岡に命じて客の抜歯治療、加工歯装着をやらせました之は私が監督してやらせたのであります」尚同人の高知県知事宛始末書によると「私の眼前に於て……岡本政猪……歯科治療を致しました」と供述してゐる。此の供述によると被告人は雇主小早川道作方で同人の眼前に於て同人の監督命令に基いて起訴状記載の抜歯、治療、加工歯装着等を為したことには疑がないのである。市川良喜、岡本政猪は自己の歯牙の疾患に付て小早川医師の診療を求めた所同人が手に傷をしてゐたので代診である被告人が小早川の命令監督の下に抜歯其他の嵌入行為まで所謂歯科医業に属する行為をなしたものであるが、併し此の被告人の所為は結局歯科医師である小早川道作の施療行為の延長であつて、被告人の独立の意思による所為ではない。従つて此の被告人の所為から生ずることあるべき一切の法律上の責任は小早川道作に帰属するものであることは論を俟たないと思ふ。従つて斯る状況下に為された被告人の所為は正に歯科医業に関する行為ではあるが、結局小早川道作の行為であるから之を違法の対照とすることは不当である。

従つて原審が此の被告人の所為に対して有罪を言渡したのは不当である。

第二点仮に原判決の認定に誤りがないとしても刑の量定が不当である。

抑々歯科医師は歯科治療の一般を掌り公衆衛生の向上及国民の健康なる生活に寄与することが其重要な任務であり其為国家が其重要性を認めて厳格な条件の下に免許の制度を設けて其人格及技能の点等に深い考慮を払つて国民の健康な生活に遺憾なからしめん事を期してゐることは十分認められるのである。従つて其反面に於ては免許なくして歯科医業を為す者には相当な制裁を科してゐる点も肯かれるのである。さりながら我々は其職業に付ては自由撰択の権利を有し公の秩序善良の風俗を害さない以上如何なる職業をも営む権利が保証されてゐるのである。近時歯科技工に経験を有する者が歯科技工師として歯型採得や義歯、金冠の製作並試適、販売を業とする者がある事は公知の事実である。而して此の歯科技工師なるものは曩に述べた如く、只単に歯型の採得、義歯、金冠の製造並試適、販売のみであつて、其義歯、金冠等を直接患部に装着し其為のあらゆる治療施術を含む嵌入行為を含有しないのならば歯科医業の一部と認めることができないと思ふのである。歯科技工師が自己の製作した義歯が果して患部に適当に嵌まるか否かを実験する為に口中に入れたり出したりする行為は試適行為である以上当然あり得ることであるがそれは適合を検査するものであつて嵌入行為とは云ひ得ないのである。従つて此の種の行為を以て歯科医業の一部であるとは云ひ得ないのである。本件に於て被告人は山本盛衛外の者に対し歯科医業である抜歯、削磨、嵌入行為を為した事に付ては其の違法を潔く認めて只管法の寛大な裁を待つてゐる者である。併し右の内印象の採得、試適行為に付ては最も重要な嵌入行為を施さない限りに於て歯科技工師である被告人の正当行為と云つて差支へないと思ふ。印象採得、試適、嵌入行為が歯科医業中の充填、補てつ行為等と一体を為してゐることは争ふものではないが而し之は明白に区別が出来又は区別しなければならないと思ふ。右の内嵌入行為は義歯、金冠を患部に装着する行為で歯牙の消毒、乾燥、定着、接歯、削磨等複雑な関係にあるので専門的な歯科医師でないと完全なる施術と口腔衛生が完全に行われないので、歯科医業の範囲に属せしめたものである。併し歯科技工師の為す歯型採得、試適、製作販売等只単なる製作販売のみであつて、何等一般口腔衛生に実害を及ぼすような事は考へられないのである。

従つて被告人の所為中義歯、金冠の印象採得、試適行為が被告人の正当業務に属し而かもそれによつて歯科口腔衛生にも実害を及ぼさないのであるから、原判決中の判示有罪の一部と認定されてゐる前印象採得、試適行為が除かれるので今少し寛大な判決を言渡すべきであると思ふ。

被告人の控訴趣意

原審高知地方裁判所須崎支部は事実の認定に錯誤ある為従て法律解釈に錯誤を生じたる事実を左記に列記します。

第一点歯科医院技工室の延長が技工所と看做し大正十四年帝国議会で営業として認めたる歯科技工営業を無視したる昭和二十三年一月十七日発厚生省医務局長及司法省刑事局長の通牒を其のまま原審は証拠として採用したるに原因する。

第二点原審は完製せる義歯金冠の嵌装行為が歯科医師法違反として技工師が罰せられたる判例あるを引用して義歯金冠の製作の本旨は嵌装にあり以て嵌装と製作は不離一体であるから技工師が義歯金冠製作するには歯科医の指導監督の下に歯科医師の摸型に依り製作するのが技工所であるから歯型の採得及び試適行為を技工師又は技工所が単独で為すは違法なりと認定すれ共義歯金冠製作の本旨目的は嵌装にあらず適合にあり適合せざる義歯金冠を嵌装せられては咀嚼は勿論使用出来ざるなり以て製作と嵌装を一離一体の故を以てする所論攻撃は当らざる言にしてと昭和十四年十一月七日宣言(れ)第八四七号大審院判決は明示して居るのであります従て適合する義歯金冠を製作することは技工師の責任で適合せざる義歯金冠を作ることは仕事として始めから価値のないものであります従て適合する製品を作るには間接の寸法取である歯型の採得を必要とし製品が合理的に使用に適するや否や実験する方法が試適と称するのでありますから歯科技工営業を大正十四年国会に於て認め乍ら之を禁止する如き判決を原審は為して居るので其の原因を為すものは国会が営業として認めたるものを歯科医院技工室の延長が技工所となりとの錯誤に基くものであります。

第三点原審は右之通り判決に最も大切なる犯罪事実の認定を誤りて従て営業に対する刑法第三十五条の違法阻却の特別原由を無視して居るから歯牙治療抜歯投薬又は嵌装行為等の如く純然たる違反行為と国会で営業として認め永年課税したる正当業務を禁止する如き歯型の採得及試適行為として罰して居るのであります。

第四点日本歯科技工師会の業権は大正十四年国会で獲得し昭和十二年三月九日昭和十四年十一月七日の両度大審院判決及び裁判記録を保管する当時の山鹿区裁判所に登記すると共に裁判所より官報に公示したる営業種目中に歯型の採得及び試適行為は技工師業務として公示しあり以て現行憲法第三十九条に徴するときは被告事件一覧表中の嵌入なき印象採得試適行為は無罪なるに之に対し歯科医師法違反として共に罰するは不当であります。

第五点坂本愛吉に対する嵌入行為はないのであります警察官の取調の際には入れて貰つたと云いしもそれは製作販売して貰つたことを入れて貰つたと云うのは一般人の通念であります大西重義、山中静枝、山本静枝三名の高知地裁須崎支部の公判に於ける証言に依つても明らかであります不幸にも坂本愛吉は死亡しているので証人として立証出来なかつたけれども大体有床義歯は義足義眼眼鏡の如く自分で入れるものであり敢て被告人が嵌入する必要はないのであります。

第六点市川良喜、岡本政猪両名は被告人が小早川歯科医院に勤めている時大正二年十二月大審院の判例に歯科医師の指示に従つて代診したものは無罪とあるのを被告人は信じて小早川歯科医の指示に従つて歯科医師の手足と成つて行つたものでありその料金はほとんど歯科医院のものでありますのでその後法律の改正に依り有罪であるとしても原審の判決は不当であります。

第七点くれぐれも申述べ度いことは先に申述べました印象採得試適であります。印象採得試適は義歯金冠製作者である歯科技工師に絶対許されなければならぬことであります。義歯と云うものはその製作過程が非常にデリケートなものでありまして陶歯を並べるに致しましてもその陶歯が或は歯齦部が注文者に完全にマッチしなければならないものでありそれには製作者である技工師が注文者の口中を良く知り又陶歯の植列には顔色容貌を詳しく知らなければならないのであります歯科医に云わしめればそれ等は歯科医が技工師に口伝すると云いますがそれでは満足なものは出来ません注文者の顔で義歯とはちぐはぐに成つてしまいます一つの例を云ええば前歯が一ミリ長くても一ミリ短くても又極く僅かな歯の傾斜のやり方で注文者の顔に義歯はマッチしないのであります画家が知らぬ風景人物を伝え聞いたと画家が実際に見て画いたのとでは全然感じが違うと同一であります。

第八点歯科医師法違反である部分は被告人は深く後悔し潔く処罰を受けたい決心でありますが原審の嵌入行為なき印象採得試適を有罪とし又罰金一万六千円の判決は余りにも高額であり不当でありますから控訴を申立た次第であります。

検察官検事中田慎一の控訴趣意

第一点原判決は事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決は、「公訴事実中被施術者大西重義、山本静枝、山中静枝に対する嵌入行為は証拠不十分」と判示し、無罪の言渡をした。然しながら義歯の嵌入行為とは、完成した義歯を人体に装着するに当りこれを修正する行為を謂うものと解すべきところ、(昭和二十三年一月十七日附医発第二十二号厚生省通牒参照)

(一)大西重義の司法警察職員に対する第一回供述調書中「谷岡に型をとつて貰つて、二、三日後に谷岡方へ行つた処前回の型に基いて、上下総義歯ができていたので、之を口中に入れて嵌めて見て能の悪い(具合の悪いの意)ところは口から出したり入れたりして直してもらいその日に入れてかえりました」旨の記載(記録一八丁)並びに原審における同証人の「一寸工合の悪いところがあつて一度だけ削り直しはしましたが、それは僅かですその時歯の出し入れは私がやりました」旨の証言

(二)原審証人山本静枝の「でき上つた歯は全然被告人がつつかず(手を加えずの意)に入れた只それはでき上つたときのことであつて、それ迄は入れたり出したりして合わしてくれました」旨の証言(記録六五丁)

(三)原審証人山中静枝の「被告人に歯の型をとつてもらつて、歯を作るとき被告人が証人の口から義歯を出したり入れたりして仕上げた、でき上つてから自分ではめた旨」の証言(記録七二丁乃至七四丁)及び同人の司法警察職員に対する第一回供述調書中「下の前歯五本を残して上下カップリ(総義歯の意)を入れた(記録四一丁裏)型をとつて三日目に谷岡方へ行くとちやんと歯ができていて、自分の歯である下の五本の隙間にも白の金でふさぐ様になつていた。谷岡さんは現在私が入れている歯を仕上げる為に二回私の口より出し入れして義歯の方の擦り合せをしてくれた」旨の記載(記録四二丁)

(四)被告人の司法警察職員に対する第一回供述書第十項中「坂本愛吉の娘さんに印象採得の後金冠を作つてすいている所に合わし製作せる金冠が合理的に使用に適するか又之が日常使用するにたえるか痛むところはないか等を実験して悪い部面は又はずして治し最後にその金冠にセメントを入れてその娘さんの歯に差入れてやりました。これを専門語で試適行為と申します」旨の記載(記録一〇〇丁)並に同供述書中第十三項に「私はこの外に二三年前須崎町浜町魚市場の東側の煙草屋のおかみさん(山本静枝に該当)の総入歯や、多の郷田の地の人(大西重義に該当か)の総入歯等数名入れていますが(中略)勿論総入歯を入れる際は印象採得試適行為はやつています」旨の記載

を綜合すれば被告人が大西重義、山本静枝、山中静枝の三名に対し総義歯の型をとりこの型に基いて作成した義歯を装着するに当り修正行為をしたものであることは極めて明白である。被告人はかかる行為は試適行為であるというが(前記第一回供述調書第十項記録一〇〇丁)斯る行為は最早試適行為ではなくして正に嵌入行為に該当する行為であることは前記厚生省通牒に照らして明らかである。仮に被告人が、右の行為を試適行為であり従つて又適法行為であるとの確信の下に本件行為に及んだとしても被告人の右行為が歯科医師法第十七条に牴触する行為である以上被告人は歯科医師法を誤解し自己の行為に対する法律上の価値判断を誤つたものであつて、かかる場合も亦刑法第三十八条第三項に所謂「法律を知らさるを以て罪を犯す意なしと為すことを得す」に該当し被告人に法律上犯意がなかつたものと謂うことはできない。

之を要するに前記各証拠により被告人が公訴事実摘示の通り大西重義、山本静枝、山中静枝の三名に対しても嵌入行為をなしたものであることは、まことに明白であつて一点疑いの余地がないのに拘らず原判決がその点に関する証拠不十分と判示し無罪の言渡をしたのは畢竟原判決が採証の法則を誤つた為め事実の認定を誤つたものであつてその誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであり原判決は破棄を免れないものと確信する。

第二点原判決は首肯するに足る理由を附さないか又は理由にくいちがいがある。原判決は既に述べた如く「公訴事実中大西重義、山本静枝、山中静枝に対する嵌入行為は証拠不十分につき無罪」と判示している。然しながら既に第一点において述べた通り右嵌入の事実を証明するに足る形式的証拠は揃つておるのであるから原判決がこれらの事実につき証拠不十分と断定するには前記各証拠が措信するに足らないもので従つて証明力がないことを説明しなければ判決の理由としては不備と謂わなければならない。然るに原判決がその説明をせずして漫然前記各証拠を排斥し証拠不十分と判示したのは結局原判決は首肯するに足る理由を附さないか又は理由にくいちがいがあるものであつてこの点においても原判決は破棄を免れないものと考える。

第三点原判決は法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決は判示犯罪事実を認定し主文第一項において「被告人を罰金壱万六千円に処する」旨の言渡をすると共に主文第三項において「公訴事実中大西重義、山本静枝、山中静枝に対する嵌入の点は無罪」との言渡をしたものである。この点につき原判決に事実の誤認のあることは既に第一点において述べた通りであるが仮に百歩を譲つて右大西重義外二名に対する嵌入の点が原判決判示の通り証拠不十分であるとしても本件起訴の対象は公訴事実に明らかな如く歯科医師でない被告人が歯科医師法第十七条の規定に違反して大西重義外七名に対し反覆継続して抜歯又は義歯金冠の印象採得、試適、嵌入等を為し以て歯科医業を行つた点にあるのでこれらの抜歯又は義歯金冠の印象採得、試適、嵌入等の所為は包括して歯科医師法第十七条違反の一罪を構成するものと解すべきであり検察官はこれを一罪として公訴を提起した次第である。原判決も亦その理由中に「歯科医師は(中略)歯牙歯根の疾病抜歯等の外に歯牙脱落部の型を採り義歯を作り之を根部に嵌入すること等別紙一覧表記載中の施術行為(抜歯又は義歯金冠の印象採得、試適、嵌入若くは削磨行為)も亦歯科医業の内に含まるるものである云々」と判示し以て嵌入行為が歯科医業の内容をなすこと従つて又本件一個の犯罪の一部をなすものであることを是認しているところである。従つて若し前記大西重義外二名に対する嵌入行為につき証拠不十分であるとしても右各行為は原判決が有罪と認めた事実と一罪をなすものであるから原判決が右大西重義外二名に対する嵌入の点につき主文で無罪の言渡をしたのは一罪の一部につき主文で無罪の言渡をしたものであつて法令の適用を誤つたものと謂わねばならずその誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるからこの点においても原判決は破棄を免れないものと考える。

第四点原判決は刑の量定が不当である。

原判決は判示歯科医師法違反の事実を認定して被告人を罰金壱万六千円に処する旨の言渡をしたのであるがこの種違反行為処罰の目的、被告人の反社会的性格等に鑑みその量刑は甚しく軽きに失するものと思う。即ち

一、抑々歯科医師は歯科医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与しもつて国民の健康な生活を確保する任務を有するものであつて(歯科医師法第一条)その任務の重要性に鑑み国家は歯科医師になろうとするものは厳重なる歯科医師国家試験に合格し且つ厚生大臣の免許を受けなければならないことを要求し(同法第二条及第九条以下)而もその免許に当つては厳格なる条件を附し(同法第三条以下)以て歯科医師として具有すべき人格、技能、知識に欠くるところのない様深重なる考慮を払い国民の健康な生活の確保に遺憾なきを期すると共にその反面においてこれに違反し無免許にて歯科医業を為す者に対しては、刑罰の制裁を以て臨み以て違反の絶滅を図つておるのである。然るに近時歯科技工に経験ある者が義歯、金冠の製作に藉口してその製作に前後する歯科医療行為にまで介入し歯科医師に非ずして歯科医業を行うものが続出する傾向があり本件被告人も亦その一人である。斯る傾向は国民の健康な生活を確保する上において憂慮すべきものでありその違反者に対しては厳罰を以て臨み一罰百戒以て一般予防の実を挙げることが法の目的に適う所以である。

二、特に本件被告人は熊本市に本部を有する日本歯科技工師会高知県支部副会長兼会計の地位にあるものであるが(記録九三丁)同技工師会は「義歯金冠の印象採得試適行為(その試適行為という中には事実上嵌入行為をも含んでいるが)は義歯金冠の製作の中に含まれる行為であつて歯科技工師がその業務上当然になし得るところであるので斯る行為を歯科技工師が行つても歯科医師法第十七条の違反に問わるべきでない」と極力主張宣伝し被告人も亦右見解に従い本件違反行為中義歯金冠の印象採得、試適、嵌入行為は違反に非ずと強弁していることは同人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書の記載並に原審公判廷におけるその供述により明らかであるが、更に被告人は原審第三回公判廷において「今後もこの仕事を続ける」旨言明しておる(記録九三丁裏)ところによつても明らかな如く少しも改悛するところなく却つて反抗的態度をさえ示しているのであつて謂わば一種の確信犯人ともいうべきものである。斯様な被告人に対し罰金刑を以て処断する様なことは殆ど意味がないと謂うも過言ではない。歯科医師法も悪質違反者に対しては懲役刑を以て臨むべきを予定しているのであるが本件被告人の如きは正にその対象者の一人であると謂わねばならない。

三、加之被告人は前記日本歯科技工師会高知県支部副会長として県下多数の歯科技工師に対し同会の前記主張を宣伝して同会への入会を勧誘しその主張の実践に努めているがこれが為、県下多数の歯科技工師も経済的に有利な被告人等の主張に共鳴しその傘下に走せ参じ様とする気運が見えるのであつて、従つて又これら技工師は本件裁判の結果に重大なる関心を寄せている実情でありその及ぼす影響は決して少くないのである。

四、以上述べた様な観点から検察官は同種の前科もない本件被告人に対し敢えて懲役六月の求刑をしたのであるがこれに対し原審は被告人を罰金壱万六千円に処する旨の判決を言渡し而も一部無罪の言渡までも附加している。この様なことでは到底この種違反行為取締の目的を果し得ないばかりでなく裁判の威信をも失墜する慮さえある。

以上の次第であつて原判決は刑の量定が甚しく軽きに過ぎ失当である。

仍て刑事訴訟法第三百七十八条第三百八十条乃至第三百八十二条に則り控訴の申立をした次第である。

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